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カテゴリー「引用・転載」の最近のエントリー

先週末、仕事の合間にWebで読んだ文章に結構考えさせられた。

俺が毎日会ってる人たちは、ひとりとしてお前の知らない人ばかりだ。 お前が大好きなひとたちが今なにをしているか、俺は全く知らない。知ろうともしてない。

引用元の文章全体は、タイトルの通り10歳の自分へのメッセージになっているけれど、末尾のこの部分は、10歳どころか、15歳、18歳、20歳、25歳くらいまであてはまってしまう。いや、25歳の頃は周りに誰もいなかったかもしれない。大げさではなくて。

土曜日、会社の帰り、邦ちゃんから電話で、キッチンボンで食べたよ!という報告があった。キッチンボンは恵比寿の洋食屋で、若い頃、QとQの恋人と3人でたまたま入った店だ。一番安かったのが2,000円ちょっとのカレーライスだった。あの頃はお金がなかったから、仕方なくそのカレーライスを食べた。Qか、Qの恋人はチキンライスを食べた。ああ、でもチキンライスを食べたのは僕だったかもしれない。

先週末はわしさんが来浜されていたので、みんなで集まって飲んだりした。あいかわらず、いつもな感じでそれがよい。金曜日、Qが飲み屋の対応に注文をつけていて、僕はそんなんどうでもええやろ的な意見だったのだけれど、今日、Webで読んだ文章で、そのことを思い出した。

クレバは雑誌で「蕎麦屋で注文したのに、なかなか出てこなかった。後から来たブサイクなカップルの方に先に来た
だから俺はちゃんと注意してやった。」
うろ覚えで意味不明だけど、こんな事言ってた
もちろんクレバの主張は正しいし、大した事じゃないのだけれど
「俺は曲がった事が嫌いで言うべき事は言う」みたいな流れだった
この人が歌っている愛とか正義ってこの程度の物だったのだと思った
ノラ・ジョーンズが別の雑誌で「レストランで頼んだコーヒーが出てこないと私だってイライラする
でもそんな事は人生の本質じゃない」と言っていてかっこよかった


人生の本質 - Tiger Butter Fudge (via MCSG SYM)


引っ越して、食事をする場所が随分変わった。最近、通いつめている中華料理屋はちょっと味が濃すぎるかなとも思うけれど、結構好きだ。お店のブログを持っていて、週替わりの定食をアップしている。それを見るのが楽しみだ。今週の週替わりは酢豚で、今日、帰宅の折りに食べた。狭い店内では、近所の大学生とおぼしき二人組が将来について熱っぽく語っていた。経営者を目指していると話している方の子が、若い頃の苦労は大切だから今がんばっているのだと言っていた。高校の頃、担任の教師が、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」と言っていて、当時、ああ、なんてつまらないことを言う人なんだろうと思い、それは今でも同じように思っているのだけれど、それはともかく、明日は早いのでそろそろ眠ろう。

消費者は一様ではない。 なんとか差異を見出す。必ず差異を見つける。 差異が見出せないのであれば、それは分析の設計が悪い。 差異にも大小があって、意味の無い差異となるかもしれない。 それでも差異が見えるような設計を。
僕には、単に時間が足りないだけだと思っていたけれど、 どうやらそうではないようだ。
ヘプタポッドたちとともに仕事をしたことで、わたしの人生は変わった。あなたのおとうさんに出会い、<ヘプタポッドB>を習得し、その両方があいまって、いまここ、月明かりを浴びるこのパティオで、あなたという存在を知ることを可能にしている。やがて、いまから何年もがたったとき、わたしのそばにあなたのおとうさんはいなくて、あなたもいなくなっている。このひとときから最後までわたしに残されるものは、ヘプタポッドの言語しかない。だから、わたしは強く注意を払って、あらゆる詳細を心に刻んでいる。
目に写る全てのことはメッセージ
つくづくそう思うよ。
私たちは誰もが、「明晰な意識」として今ここにいる確率が高い。平均的な人間よりもかなり抽象的な思考を好み、概念デザインを心地よいと感じ、推論・論証をするのに意義を見出している。それは一つには、もしそうした性質を持っていなかったらあなたも私もこの文章を目にしていないからであり、「私」「あなた」としてこの文章で指し示されることもなかっただろうからである。